『村上朝日堂はいほー!』

こんにちは☆<<
すっかりご無沙汰してしまいました。
何だか今週はお仕事が立て込んで…
やっとひと段落ついて来たところです。


いくら忙しくても、
ランチタイムの読書は続けています。
一応、言葉を使った仕事なので、
なるべくプロの言葉づかいには触れておいた方が良いな、と。


今回読みましたのは、


『村上朝日堂はいほー!』
著:村上春樹


で御座います。


ココからネタバレの可能性有り。ご注意ください。


これは、
ハイファッションという雑誌?に、
1983年から5年間に渡って掲載されたものを
1992年に文庫化、という代物。

兎に角、内容としては30年近く。
文庫化してから20年経っているのですよ!

実は、私、1982年産まれ。
そんな産まれたての頃のお話、
携帯も無い、パソコンも無い時代のお話、
時代遅れでどうなの?と思ったのですが、
そこはさすが世界のMURAKAMI!
選ばれたトピックが、普遍的なものばかり。

ひとり旅

時計
ステーキ

等など。
特に、なんて村上さんには欠かせないと思うのですが。
とまあ、特に時代を感じず、楽しむことが出来ました。


世界のMURAKAMIと言いましたが、
やっぱり彼は、小説家。
エッセーよりも小説、を生業としている方に間違いない。

でも、個人的な事ですが、
私は彼の書く小説が苦手です。

村上ファン、いや、村上信者は
思いのほか多いと思うのですが、
それでも、
彼の小説は苦手。
何だか、どろどろしているし、
意味のわからないシステムがあったりして、
とてもハッピーにはなれないし、
それでいて誰かが死ぬ、
あるいは何故かエロティック…

それでも、彼の書く文章はとてもキレイで、
流れがあって、魅力的なので、
どんどん読んでしまうのですが。
と言うほど、彼の著書を網羅してるわけでもないけど、
まあ、代表的な数冊は読んでいます。


じゃあ、私にとっての村上春樹って?
という大げさな事でもないのですが、
彼のエッセーは好きです。
今回も、そういう期待を持って借りて来たのだけど。

何とも、普段もやもやと感じている事を、
キレイに、そして納得行くように
気持ち良いくらいに書き出してくれる。
と言うのでしょうか。
ご本人は、特に頑張って分析している風でも無いので、
普段から洞察力のある方なんだろうな~
と思っているのですが。

そういう風に文章を書けると素敵だな~
と思ったりしても、
私には分析する能力も、
それを言語化する能力も無いので…
まぁせいぜいプロの書く文章を読んで、
「そうだ、私が言いたかったのは、そこ!」
と激しく同意するしかないですね。


そしてもう一点。
村上春樹という人は、
不思議な事に、翻訳家でもあるんですよね。
ん~同業の大先輩。
と言ってしまうとオコガマシイですが、
それでもやっぱり、尊敬するところはあります。

今回のこのエッセー集で、
翻訳、というか言語習得について言及された文章があったので、
略しながらちょっとご紹介しようと思います。
と言いつつも、長くなりますが。

前回まで、私のつたない文章で
バイリンガル教育について書かせて頂いたけど、
イマイチうまく書けなかったな~と感じていて、
そして2回に渡って書くほど長くなってしまったのですが…

↓↓↓宜しかったら、どうぞ

バイリンガル教育について-前篇-
バイリンガル教育について-後篇-

ここから、村上春樹氏のお話。


CAN YOU SPEAK ENGLISH?


英会話というのがあまり得意ではない。というよりははっきり行って相当に不得意である。


僕はけっこう翻訳の仕事もしているし、ここのところずっと年の大半は外国暮らしをしているから、会話のほうもさぞや堪能なんだろうと世間で思われがちなのだけれど、そんなことはなくて、はずかしながらまったく苦手である。[中略]


でもよく考えてみれば、これは僕としては決して不自然な話しではない。だって僕は日本語の会話からして圧倒的に不得意なのだ。[中略]そんな日本語もろくに上手に喋れない人間が、英語をぺらぺらと流暢に喋れるわけがないではないか。そうでしょう?日本語で歌って音痴な人が英語で歌っても音痴なのと同じ理屈ではないですか?


英会話習得における日本人の根本的な思い違いはおそらくこの辺にあるのではないかと僕は思う。会話というのは生まれつきうまい人とうまくない人がいるし、会話のうまくない人がどれだけ英会話に堪能になろうとしても、それはおのずから限界というものがある。何故ならば、それは生き方の姿勢の問題だからである。日本語の文章を書くのが苦手な人がどれだけ英作文を習ってもおのずから限界があるのと同じである。


ところが世の中の多くの人は外国語会話というの後天的に身につけることのできる純粋な技術として捉えて考えているように見える。それなりのルールを覚え、しかるべき単語を上手に暗記し、発音を矯正し、場数を踏めば誰でも英会話に堪能になれるのだという風に。だからこそあれだけ巷に英会話教室が溢れ、書店にはテープやら本やらが山積みになりながら、きちんとした英会話能力を身につけた人があまり見当たらないという事態が生じるのだ。僕は断言してもいいけれど、その辺の町の英会話教室で英会話を身につけるのはまず無理である。[中略]

じゃあどうすればいいのか、どうすれば英語が話せるようになるのか、ということになるわけだが、これはむずかしい質問である。[中略]ただ僕の経験からいうと、外国語というのは必要に迫られればある程度は話せるようになる。逆に言えば、必要に迫られなければまず駄目だ。これはとても単純な結論だけれど、厳然たる真実です。[中略]

それでは今の日本でどれくらいの数の人が英会話力を本当に必要としているかというと、僕には見当もつかない。
それから今流行っている幼児のための英会話教室というのもよくわからないですね。子供の頃の語学学習がいちばん必要なんだと言われればそれまでだけど、普通の6歳の子供がどうしてバイリンガルにならなくちゃいけないのか僕には全然理解できない。日本語もちゃんとできない子供が表層的にちょこっとバイリンガルができてそこにいったい何の意味があるのだろう?何度も言うようだけれど、才能かあるいは必要があれば、子供英会話教室に通わなくたって英会話は人生のどこかの段階でちゃんとできるようになる。大事なことはまず自分という人間がどういうものに興味があるのかを見定めることだろう。日本語の真の会話がそこから始まるのと同じように、英語の会話だってそこから始まる。[中略]

外国に行くとよくわかることだけれど、ろくに言葉が通じなくても気の合う人間とはちゃんと気が合うし、どれだけ言葉が通じても気の合わない人間とはやはり気が合わない。これはもう自明のことなのだが、今の日本の圧倒的な英会話フィーバーの渦中では意外に忘れられているような気がする。会話にはもちろん技術が絶対に必要だけれど、まず自分という人間の手応えというか存在感がなければ、それはただ構文と単語の丸暗記に終わってしまう。そしてそういう会話力はどれだけ意味が通じてもそれより先にはまず進まないし、そういうタイプの広がりのない会話力を僕は全然好まない。[後略]

と、まあ続くのですが、
もう、おっしゃる通り!!
驚くのは、80年代でも英会話が流行っていて、
今でもその流れは変わらない、と言う事ですね。
割と略しちゃっているので、ご興味のある方は、是非読んで見てもらいたいです。

そうなんですよ、
やっぱり今は英語が出来なきゃ、とか
英語に対する憧れってあると思うんですが、
まぁ動機はともかく、表層的に勉強しようとしてもダメ、だと。
必要に迫られなきゃ、真の語学力はつかないよ、と。
だから、海外へ行きなさい。と言う事でしょう。

私も、英語が全く出来ない時代に出会った
スイス人のお友達、
15年経った今でも仲良くしていて、
先月、日本に旅行に来ていた際に
一緒にお茶なんかしちゃいましたもん。
当時、言葉なんて全然通じなかった。
でも、仲良くなるのなんて、難しく無かったです。
そんなもんなんです。

と、世界のMURAKAMIの上に乗っかって、
生意気な事を言わせてもらいました。


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